明石家さんまの闇。兄弟が火事で亡くなっていた?家族構成が写真で判明

ふぁーーーーー!!

という引き笑いが特徴のお笑い怪獣といば、そう”明石家さんま”さん。いつも底抜けに明るく、5秒以上黙っていられない、初めて会ったファンと新幹線の中で二時間しゃべれる、など元気エピソードに事欠かない、さんまさん。

しかし、この元気の裏には常人では耐え難いような暗い暗い闇があるのです。いや、むしろ、彼にはこの闇があるからこそ、元気に明るく生きていこうという信念が出来上がったと言っても過言ではないのです。今回はお笑い怪獣”明石家さんま”さんの闇に触れてみたいと思います。

さんまの家族の闇とは

両親と兄・正樹さんとの4人家族で、本名は杉本高文。後のさんまさんが3歳の頃に生みの母親は病気のため、幼い正樹さんと高文少年を残して亡くなってしまいます。

この頃のことはまだ記憶がなく、生みの母親のことを全く覚えていないのだそうです。

しかし、母親の葬儀の日、飼っていた愛犬に強く噛みつかれ、その傷跡が今も残っているとのこと。

もしかしたら、愛犬は生みの母のことを忘れるな!と傷跡を残したのかもしれませんね。

その後、高文少年のとに新しいお母さんと、その連れ子である年の離れた弟となる正登さんが、お父さんの再婚によってできます

高文少年は正登さんを”チビ”と呼んで大変可愛がっていたそうです。
しかし、幸せな四人家族、とはいかなかったようです。後に、兄正樹さん曰く、

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その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら、『うちの子はこの子(弟)だけや……』って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。二人でよう二段ベッドで泣きましたわ…。

まだまだ母親を求めたい年頃の二人にとっては、継母の態度は身を切るような辛さがあったことでしょう。このことがトラウマで、明石家さんまはお酒が苦手になり、お酒を飲む女性も苦手だったということです。

それでも、新しい母に気に入られるためには毎日面白いことを言おう!と必死になっていたのです。

それが学校の人気になるきっかけとなり、後の明石家さんまへとつながっていくのです。


しかし、継母との溝が埋まることはなかったそうです……。その代わり、新しい弟正登さんは高文少年を慕い、非常に仲良く過ごすこととなりました。二人の仲の良さは長く続きました。

正登さんが亡くなるその日まで

家族が火事で亡くなったってホント?

これは当時の週刊誌の画像です。記事の内容はこうです。家業を継ぐくことになった正登さんはそれが嫌になり、自ら灯油をかぶり……という非常にショッキングな内容です。

警察でもこの火事は、自殺として処理されたそうですが、既に全国人気を獲得していた明石家さんまさんは舞台に立つこともできないほど、芸能界の引退も考えるほどのショックを受けたそうです
弟さんが高校生のころ、さんまさんは冠番組を持つほど人気でした。その当時のインタビューでさんまさんはこう答えています。

さんま「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません、あのチビが亡くなるだなんて……」

正登さん19歳の時です。どれほどのショックだったのでしょうか、想像に余りある哀しみだったでしょう。それを救ったのは吉本の同期であるオール巨人阪神のオール巨人さんだったそうです。

今、こんなことを言ったら確実に芸能界引退に追い込まれるような強烈なボケですが、それが傷心のさんまさんを助けたのです。その内容がこちら。

しかし、同期のオール巨人が明石家さんまの窮状を見かねて、共演した舞台上で「お前んち、兄弟焼いたらしいな」と敢えて触れられたくない領域に踏み込みます

普通なら激怒してもおかしくないこのオール巨人の言葉が、明石家さんまは励ましているんだと捉えて「そや、材木きれたから代わりに焼いたんや」と返しました。

このやり取りがあったおかげで明石家さんまは弟の死を乗り越えることができ、明石家さんまはオール巨人に対して「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」とお礼を言ったそうです。

お笑い芸人というのは今より過激な笑いを取るのが当時は一般的だったそうですが、それでも強烈な一言……。ちょっと今の常識では考えられませんが結果、それがさんまさんを救った事には変わりません。

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またもう一つ、さんまさんの生き方にかかわるショッキングな出来事がありました。

それが『日本航空JAL123便墜落事故』。正登さんの死と合わせてこの事故が明石家さんまの人生観を大きく変えます。『上を向いて歩こう』で知られる坂本九さんを含む、520名の命が一瞬で消えてしまった非常に痛ましい事故です。

さんまさんはこの事故の日、東京のフジテレビで『オレたちひょうきん族』を収録したあと、JAL123便で大阪へ飛んで『ヤングタウン(毎日放送系)』に出演する予定でした。
しかし、『オレたちひょうきん族』の収録が予定よりも早く終了したため、JAL123便をキャンセルして前の便で大阪へ飛ぶことになりました。そうして奇跡的に事故にあわずに済んだのです。

その後墜落事故が発生したことを知ったさんまさんは、急遽自身の出演ラジオを報道特番に変えて事故の状況を伝えたのです。
明石家さんまはこの事故にとても大きなショックを受けて、以降新幹線で行ける距離であれば飛行機を利用しなくなったそうです。

『生きてるだけで丸儲け』さんまさんの座右の銘であることと、娘のIMALUさんの名前のもとになったことを知っている方も多いと思いますが、彼の人生の軌跡をたどると、その言葉の意味がいかに重いかわかりますね。

写真で見る家族構成

見るからに仲の良い家族写真ですね♪

離婚しているとは思えないくらい)大竹しのぶさんと「男女七人物語」での共演をきっかけに結婚したさんまさん。

しかし、あまり知られていないのですが、大竹しのぶさんは初婚ではなく、TVディレクターの方と結婚したのですが、旦那さんが病死。

余命宣告されていた際に出来たのが長男の二千翔(にちか)さん、ということで、さんまさんとは再婚になります。つまり二千翔さんとは義理の親子関係になります。優しそうな方ですねー。

自分が継母との関係で苦しんださんまさんは、とにかく二千翔さんを可愛がったそうです二千翔さんは、子供の頃はとても体が弱かったそうです。ぜんそくの発作に悩まされ、薬が手放せない生活でした。ある日、ぜんそくの発作でにちかさんが寝込んでいるとき、

さんまさん「絶対薬を飲ませたらあかん!」

大竹さん母「窒息したらどうするの!?」

さんまさん「お義母さん、僕に一日だけください!」

そして、さんまさんはひたすら二千翔さんに寄り添って、「気」を送ったそうです!「気」って!!!
冗談ではなく、本気で、大真面目に「気」を送り続けたそうです。それこそ朝になるまで。その後、二千翔さんのぜんそくの発作はなくなったといいます。実の子供じゃないのにそこまでできるなんて、さんまさんの懐の深さと優しさでしょう。

さらに、さんまさんは仕事を終えて家に帰ってくると、実の子のIMALUさんより先に、真っ先に二千翔さんを抱っこしたそうです! これも、血がつながっていない寂しさを二千翔さんに感じさせないためのさんまさんの配慮だったとか

そんな二千翔さんもさんまさんを実の父のように慕い、さんまさんは二千翔さんに”ボス”と自分のことを呼ぶようにしたそうです。それはなぜか二千翔さんに「お父さん」と呼びづらいだろうからそれなら愛称として”ボス”と呼べ、と。

しかし、ご存知の通り、大竹しのぶさんとさんまさんは、仕事と家庭の価値観の違いから離婚することになるのですが、幼い二千翔さんは実の母である、大竹しのぶさんではなく、

二千翔さん「ボスについていく!!」

といって、大竹さんを困らせたそうです。それだけ、さんまさんは二千翔さんに愛情を注いだということでしょう。

また、前半に登場した実の兄正樹さんは今も元気だそうです。

そっくり!!実のお父さんが経営していたバー”さんま”を継ぎ、二度の離婚を経て現在三人目の奥様と生活されているそうな。女好きは杉本家の血なのでしょうか(笑) 。お兄さんとも良好な関係を築いていらっしゃるようです。

さて、ここまで、明石家さんまさんの”闇”をお伝えしてきましたがいかがだったでしょうか。

しかし、彼は闇を光に変え、今、日本中の人たちに笑いという光を届けています。常人では耐えられないほどの闇を胸の内に抱えながらも、いや、抱えているからこそ、その光はより一層輝くのかもしれません。
一時は引退宣言なども飛び出しましたが、今後も、私たち視聴者に笑いという光を届けてほしいものですね。

最後に。
IMALUさんがプロドラマーと破局したことを伝えた時のエピソードを。IMALUさんから

正月明けさんまに「明けましておめでとうございます。河村さんと別れました」と報告した際に、さんまからは「明けましておめでとう! 別れたのもおめでとう!」と反応があった

ひどい(笑)。しかし、さんまさんらしいユーモラスなエピソードですね♪
最後までお読みいただきありがとうございました。ふぁーーーーー!!

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