出川哲朗の母方家系が大物ぞろいでヤバすぎる!本人の学歴や高校時代は?

編集長
今回が3記事目の出川哲朗さんですね!

これまでは出川さんの人気の秘密家庭問題に踏み込んで記事を書いて来ました。

今回は出川哲朗さんの母方の親族にやばい大物揃いという情報を仕入れましたのでそちらと、当の出川さん本人の学歴はどうなのか?

その2点に迫って行きたいと思います!

出川さんのお母さんは出川泰子さんといい、かつてはテレビに出たこともあったかと思います。

残念ながら出川さんが46歳の時に肺炎のため、76歳で亡くなられています

こちらはメディアでもたくさん取り上げられ、出川さん、お母様の影響力の大きさを物語っています。

出川哲朗の母方の家系図がやばいことになっている

テレビではバカな一面も見せている出川さんですが、なんとその家系にやばい人がたくさんいるということなのです。

出川の姉・峰子さんに家系について尋ねると、「亡くなった母から教えてもらったことです。母方の石井家の縁戚で偉い方がいると。経済界で」と証言した。

出川さんのお姉さまの詳細情報はないのですが、経済界にすごい人がいると・・・!?

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その親戚とは、東北の名家で「三鬼家」というらしい。

出川の曾祖父三鬼鑑太郎氏は、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった「岩手軽便鉄道」の社長

編集長
いきなり大物が出て来ましたね

三鬼鑑太郎氏とは

三鬼鑑太郎氏は岩手軽便鉄道(JR東日本釜石線の前身)社長や、衆議院議員を務めた人物。
昭和11(1936)年、72歳の時、政友会の領袖・内田信也の勧めで第19回衆議院議員総選挙(1936年(昭和11年))に立候補し当選しました。

鑑太郎は、すなわち、出川哲朗の母方・曽祖父に当たる人物です。

元々は福島にある半田銀山を管理する役人の家柄であった三鬼家でしたが、明治維新によりその特権を失ってしまいました。しかしながら、鑑太郎さんは福島から上京して、明治大学に進学出来ていますので、三鬼家は明治維新で没落した家系ではなかったようです。

大学卒業後は、岩手県庁の役人となった鑑太郎さんですが、郡長を務めるなど、順調に出世をして行ったと伝えられております。

1878年から1926年まで郡に置かれた地方官吏。1878年の府県官職制によって創設された官職で府県知事によって任命され,身分としては奏任官に位置づけられた。当初は郡内の名望家が任命される例が多かったが,自由民権運動の盛んな地域には,士族あるいは他郡出身者を任じて,弾圧機能を強めた。内務省と知事の監督下に町村を統轄し,上命下達の任に当たったほか,反政府機運の取締りに当たった。

その後民間に下り、岩手県内の鉄道事業の設立などに携わり、岩手軽便鉄道の社長を務めるほどの名士となった鑑太郎さん。

晩年にあたる昭和11年(1936年)には、衆議院議員総選挙に立候補し、見事当選を果たしています。

岩手軽便鉄道は、鑑太郎さんの当選後半年程度で国有化され、JR東日本の「釜石線」の区間の一部として今日まで現存する形となりました。鑑太郎さんが政治家を目指した理由に関しては、岩手軽便鉄道の国有化のためだったと言い伝えられていたりもします。

慶応2年(1866年)の幕末生まれだった鑑太郎さんは、太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に没していますので、まさに騒乱の中で生まれて死んでいった激動の人生だったと言えそうです。

その息子で出川の大叔父にあたる三鬼隆氏は八幡製鉄の初代社長で日本製鉄の社長も務めた財界の大物であったことも判明しました!

三鬼隆氏とは

三鬼 隆(みき たかし、1892年1月14日 – 1952年4月9日)

日本製鐵・八幡製鐵(現・新日鐵住金)元社長。鉄鋼業界の大御所だった。岩手県花巻市出身。父は実業家・政治家の三鬼鑑太郎。長男は元新日本製鐵会長の三鬼彰

隆氏は日本経営者団体連合会(経団連の前身)の2代目会長も務めた。

隆さんは、東京大学を卒業後に田中鉱山株式会社という製鉄メーカーに就職しますが、こちらの会社は関東大震災の被害により倒産の憂き目にあいます。その後、日本製鐵清津製鉄所や日本製鐵八幡製鐵所の所長を歴任した隆さんは、終戦直後の昭和21年(1946年)に、日本製鐵の社長に就任。

終戦から戦後復興期までの高度成長の時代の日本を実業家として活躍された隆さんですが、志し半ばの昭和27年(1952年)に、航空事故で命を落とすことになりました。

どんどん連鎖して大物の名前が出て来ますね!

息子の彰氏が会長の新日本製鐵(現新日鐵住金)は、粗鋼生産量において日本国内最大手、世界でも第2位の規模を誇る日本屈指の巨大企業。

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母方の大物まとめ

・母方の曽祖父・・・三鬼鑑太郎。衆議院議員。岩手軽便鉄道社長
・母方の大伯父・・・三鬼隆。日本製鉄初代社長。日本経営者団体連合会会長。
・母方の大伯父の息子・・・三鬼彰。八幡製鉄社長日本経営者団体連合会副会長。
・母方の曽祖父の義理の妹・・・石井緑園。女優の原節子の姉。

これだけでもすごいですね、

さらに父方も(出川さんのご実家)も1894年に創業され、118年以上存続している、横浜の海苔問屋「つたきん」

なんと出川哲朗さんご自身も取締役に名を連ねています。

すごい商才のあり家系なんですね。だからそのビジネスセンスが出川さんにちゃんと受け継がれているということなのでしょう。

だから幼少期はおぼっちゃま生活だったんですね!

詳しくはこちらの記事をご覧ください。

出川哲朗さんの学歴や高校時代は?

さあ、家系が素晴らしく優秀なのはわかりました。当の出川さんご本人の学歴はどうなのでしょう?

出川さんの出身高校は神奈川県の武相高校です。

私立の男子校の武相(ぶそう)高校で、伝統的にスポーツが盛んで、これまで多くのJリーガーやプロ野球選手を輩出しています。

 ですが、出川さん自身はヤンキーで「切れたナイフ」と恐れられていたとか笑

「高校時代はケンカばかりしていた」と武勇伝を語る彼だが、高校時代のアルバムには割れたメガネをかける出川が写っているらしい。

中学校は横浜市立栗田谷中学校に通っており中学時代は水泳部、高校時代は軟式野球部に所属するなどスポーツは得意だったようです。

ただ、出川さんによると高校時代は「練習試合にちょっと出てただけで、3年間ほとんどベンチにも入れずずっと応援してました」と万年補欠だったことを明かしています。

編集長
補欠かーい!

 

大学は横浜放送映画専門学校を卒業されています。

※後に日本映画学校となり、現在は日本映画大学(偏差値35

出川哲朗さんは高校卒業後は、横浜放送映画専門学校に進学しています。

同校は主に映画製作は俳優を養成する専門学校ですが、バカリズムさんや狩野英孝さんなどのお笑い芸人の出身者も多いことで知られています。

同校在学時には、ウッチャンナンチャンの内村光良さんや南原清隆さんと同級生でした。

卒業後にはこのふたりを中心に劇団を旗揚げして、舞台などで活動を開始します。

以降は体当たりの芸風がウケて人気芸人となりますが、安定した人気を誇って現在に至ります。

ウッチャンナンチャンと同級生ということですが、出川さんの方が後輩のような雰囲気がありますよね、テレビの中では。

そこが、出川さんの愛たえを引き立てるいいところでもあるのだと思いますが。

映画学校の卒業式で伝説のスピーチ

数々のおもしろ武勇伝の持ち主出川哲朗さんですが、映画学校の卒業式で、

俺に5年の時間をくれ、頭出したる。俺に10年の時間をくれ、有名になったる。俺に20年の時間をくれ、頂点取ったる。

とスピーチ。すると会場ではスタンディングオベーションが起こり、これは伝説のスピーチとなっているそうです。

編集後記

シビアな実力世界の芸能界で長期に渡り一線で活躍するのは伊達じゃない

出演者やスタッフ、プロデューサーやスポンサーなど色んなところに配慮ができ、自分の商品価値もしっかりわかっている。

そんなじゃないとずっと活躍し続けるというのはできないはずだ。

そういう意味では、出川哲朗さんは、その家系に経営者が多いように、経営センス抜群の実は頭のいい人なのだと思う。

記事を書いていて私としても出川さんの好感度が上がったのは間違いない笑

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