桂歌丸が死去!ニュース【原因・いつ・病院・葬儀】まとめ

「一度でいいから見てみたい、女房がヘソクリ隠すとこ 歌丸です」で有名な(それモノマネの方ね)桂歌丸師匠がついにお亡くなりになられましたね。

晩年は入退院を繰り返し体調も芳しくなかったようですが、とても残念です。

今回はそんな桂歌丸師匠の死去に関するニュースをまとめてみました。

桂歌丸

本名:椎名 巌(しいな いわお)

生年月日:1936年8月14日
出身:神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)

血液型:A型

1951年、15歳で五代目古今亭今輔に入門し前座名今児(いまじ)を名乗った。2年半ほど落語界から遠ざかったが、61年兄弟子の桂米丸門下に移り米坊として出直し。64年歌丸と改名し、68年に真打ち昇進した。

66年に始まった日曜夕方放送の「笑点」では、一時降板したが、当初からのレギュラーメンバー。三遊亭小円遊さん(80年死去)や三遊亭楽太郎(現六代目円楽)さんとの掛け合いが、茶の間の人気を呼んだ。2006年には五代目円楽さん(09年死去)に代わって5代目の司会者を16年まで務め、高視聴率番組の安定した人気をけん引した

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編集長
ジジイと言われても身体的特徴をいじられても受け止める懐の大きさ、好きでした

桂歌丸が病気のため死亡

誤えん性肺炎などで体調を崩し、入退院を繰り返していたがついに、2018年7月2日その生涯を閉じられました。

桂歌丸の死亡原因

原因のおおもとを辿ればタバコだったかもしれません

歌丸さんはもともとかなりのヘビースモーカー。2009年に肺気腫に伴う感染増悪になってからはタバコを控えていたと言います。しかし、それからずっと桂歌丸さんの肺は正常に戻ることがなかったようですね。

会場の東京・後楽園ホールで収録後に会見に応じた歌丸師匠は「たばこはもうやめました。あんな苦しい思いをするんだったら、もう吸わない方がいい」と、禁煙を宣言した。

(中略)

歌丸師匠は、「前から肺が丈夫でなかった。気をつけてはいたが、たばこを吸うもので。一番吸ってたころは1日に缶ピースを6~70本。意志が強いもんで、みんながやめても私だけはたばこをやめなかったんですが……」と語り、「今は酸素の吸入器を持ち歩いています。これからは無理のないように仕事を続けていきたい」と語った。

古くは「笑点」の前身番組の「金曜夜席」から「笑点」になった後も病気療養の為に休んでいた時期があります。

一つは腰部脊柱管狭窄症の手術・療養の為、二つ目は肺炎、三つめは肋骨骨折、他にもインフルエンザによる休養で休演する事もありました。しかし脱腸と急性腹膜炎と2度開腹手術を受けているものの、その時は番組に穴を開ける事はありませんでした。

タバコが大好きだったんですね。禁煙も楽ではないでしょうからそれだけ芸にかける気持ちが強かったということでしょう。

笑点を引退した後も2016年7月には腸閉塞治療のため再入院、2016年8月には軽度の肺炎と診断され入院し、その後群馬県みどり市のながめ余興場で行われた「桂歌丸芸歴65周年 冬の特選大落語会」で高座に復帰したがものの、ドクターストップを振り切っての退院だったそうです。

そして、2017年4月にはまた肺炎で入院してしまい、「桂歌丸 高座65周年記念落語会」は公演中止となってしまいました。

2017年5月には退院しますが、6月3日の春風亭小朝さんとの二人会で復帰の予定も前日になって体調不良のため休演することが決まり、「左肺炎慢性呼吸不全の急性増悪」との診断だったそうです。

晩年は体調が万全になることはなかったようですね。

桂歌丸はいつ死亡した?

闘病生活が長くなった歌丸師匠には死亡説が2016年頃からつきまとっていました

「あるツイッターユーザーによる『死去』の情報が瞬く間に拡散されました。デマであることを冷静に呼びかける人もいたのですが、亡くなったと思い込み、ショックを受ける人も少なくなかった。非常に悪質です」(IT関連ライター)

歌丸師匠の生死はよく円楽師匠がネタにされていましたが、ツイッターでも「ネタにしていいのは円楽だけだ!」と怒りの声を出す人も多く、歌丸師匠の人気が伺えます。

ですが最後は2018年7月2日に本当に亡くなってしまわれました。

死因は?

歌丸師匠の死因は「慢性閉塞性肺疾患」

「慢性閉塞性肺疾患」は肺が炎症を起こす病気と言われており、タバコが原因だそうです。

2020年には世界の死亡原因の3位になると予測されている慢性閉塞性肺疾患(COPD)。日本の潜在患者数は約620万人とされているが、治療を受けているのはその中のごく一部だ。いったいどんな病気なのか。

*  *  *
COPDはたばこの煙などの有害物質によって、肺が炎症を起こす病気だ。20年以上喫煙していると発症しやすいため、早い人では40代で発症する場合もあり、3大症状である「咳、痰、息切れ」を自覚し始める。進行すると息苦しさから動けなくなり、寝たきりになることもある。

タバコが原因。世界の死因3位ってすごいですね、本当にタバコだけが原因なのか?

大気汚染とかも関係しないのかな。

病院について

歌丸さんが入院されていたのは横浜市内の病院ということなのですが

横浜市で肺炎に詳しい病院を上げるとすると、

・神奈川県立循環器呼吸器病センター

・横浜市立大学附属病院

歌丸さんの場合はご高齢ということで、肺炎だけでなく様々な合併症を起こす可能性もあります。

予期せぬ事態に対応できる大きい病院に入院してた可能性が高いでしょう。

横浜市立大学附属病院ならば、大きい病院ですし最新の設備も整っていますので、以前ここに入院してたという噂もあることから今回もこの横浜市大に入院されていた可能性が高そうです。

桂歌丸の葬儀は?

歌丸師匠のご葬儀は7月10日にご自宅のある横浜市内の葬儀場で執り行われました。

三遊亭円楽(68)ヨネスケ(桂米助=70)ら約50人が参列した。家族葬で営まれ、午前11時42分に出棺、その後、同市内の斎場で荼毘(だび)に付された。

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法名は「眞藝院釋歌丸(しんげいいんしゃくかがん)」。芸に真摯(しんし)に取り組みんだことや、地元の横浜・真金町への愛着が込められた。ひつぎには、趣味の渓流釣りの釣りざお、愛用の扇子、手ぬぐいが納められた。

翌、11日は合同の告別式が執り行われたようです。

横浜・妙蓮寺で椎名家と落語芸術協会との合同の告別式が執り行われる。落語芸術協会最高顧問の桂米丸(93)落語協会会長柳亭市馬(56)日本テレビ系「笑点」で長く共演した林家木久扇(80)が弔辞を読み、三遊亭小遊三(71)歌舞伎俳優中村吉右衛門(74)があいさつする。

たくさんの人に愛された桂歌丸師匠ですからたくさんの方が最後のお別れに訪れたようですね。

笑点メンバーのコメント

歌丸師匠の訃報を受けて笑点メンバーもコメントをしていますのでご紹介します。

三遊亭好楽さん

昭和41年(1966年)の笑点が始まり落語ブームの頂点に立った歌丸師匠が番組に頼らず自分をおごらず円楽、談志、志ん朝、円鏡(円蔵)4人の活躍を一切気にも止めず我が道を行く姿は古武士の如(ごと)く素晴らしい生き方をした方だと思います!

 新作から突然古典落語の独演会を何十年も勤めてそして円朝物の話に挑戦し一時代を築きあげたあの痩せた身体からどうしてこのさまざまなエネルギーが生まれるのか、ただただ驚きそして尊敬の一言です!

 我々に温かく接して教えてくださった我らの誇り歌丸師匠に感謝、感謝、感謝です! ありがとうございました。合掌

三遊亭円楽さん

旅先、仕事中の為申し訳ございません。とうとう洒落(しゃれ)にならなくなりました。四月五月そして六月二十日にもお見舞いに行って話ができました。

 四月は眼(め)が合うだけ……。前回は笑っていろいろと、下世話な話をして、タタタタ~パパパパ~パンダの宝はパンダ!! としゃべる筋肉のリハビリの姿も再現してくれました。

 回復してると安心したばかりでしたので言葉になりません。歌丸師匠と過ごした楽屋、旅先、ご自宅、たくさん思い出が多すぎて、どこをしゃべっても一片です。

 だから私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出、寿命。皆様もそれぞれの思い出の中に歌丸師匠を生かしておいてください。ね。

 本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側(そば)に置いてくださってありがとうございました。

 頼る人が居なくなりました……。合掌 六代目円楽

林家たい平さん

突然の訃報に接し、まだ言葉が見つかりません。病室で毎日発声練習をなさっていると聞いてましたので、近々お顔を見に伺おうと思っていた矢先でした。

 笑点に入ってまだどうしたらいいのかわからないときに、優しいお言葉をかけていただき、どんなに助けていただいたかわかりません。

 歌丸師匠に出会えましたことは私の落語家人生にとって宝物となりました。もっともっと落語のお話もしたかったです。残念でなりません。

 歌丸師匠、今まで落語界のため、笑点のため、本当に本当にありがとうございました。最後の最後まで落語に向き合った師匠は格好よかったです。

 ご冥福をお祈りいたします。

林家三平さん

歌丸師匠、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 メンバーに入ったばかりの私に、いつも温かい言葉をかけてくださった事、一生忘れません。

 そして、私の家族までいても気にかけてくださいました。

 「お母さんは苦労したから大切にね」

 「みどりのお姉ちゃん、なんとかしなさいな、峰さんがありゃ可愛そうだよ」

 と思わず笑顔になる一言が収録現場で緊張する私の肩の力を抜いてくださいました。

 「慌てず、急がず、自分のペースで」「ローマと一緒、大喜利も一日にしてならず」、優しく鋭い指南もしてくださいました。

 師匠、本当に本当にありがとうございました。自分ももっともっと精進いたします。

 ご冥福をお祈りいたします。

座布団運びの山田隆夫さんの話

先日、歌丸師匠の容態が良くないと連絡があり、急いで病院へ駆けつけました。

 「歌丸師匠。山田隆夫です!」と言ったところ、瞑(つむ)っていた眼(め)を急に開けてボクの顔をしっかり見て「山田くん、ありがとう!」とおっしゃっていただきました。

 歌丸師匠! こちらこそ子供の頃から面倒を見ていただき本当に本当にありがとうございました!

みなさん想い想いのコメントを残されていて、歌丸師匠の人間の器の大きさがよくわかりますね。

 

桂歌丸と円楽

桂歌丸師匠はかつて三遊亭楽太郎時代の円楽師匠とよく、お互いをバカにする小競り合いをしてお茶の間を笑いの渦に巻き込んでいました

今回の円楽師匠のコメントが心に刺さるとコメントする人が多いのも頷けますよね。

とうとう洒落にならなくなった

の箇所に触れる人が目立った。円楽さんは、笑点での共演時、歌丸さんの司会(しかい)に「死骸(しがい)」をかけたり、笑点と「昇天」をかけたりして、「歌丸さん亡きあとの司会者の座を狙う腹黒いキャラクター」を積極的に演じるネタを何度も披露していた。こうした印象もあって、「とうとう洒落にならなくなった」という言葉が特に胸に刺さった、という人が多かったようだ。

編集長
本当何も言えないですね・・・これには

よくネタにされていた

円楽師匠は歌丸師匠をよくいじっていましたがそれも、もともとは歌丸師匠の方からもっと突っかかってこいと当時の楽太郎である円楽師匠を叱咤したそうです。

なので歌丸師匠をネタにしたとは舞台裏で毎回謝っていたそうです。

歌丸師匠と円楽師匠は硬い絆で結ばれていたということがよくわかりますね。

 

編集語記 禁煙するべきか?

歌丸師匠は私も大好きだったので、病名がついて亡くなられてしまったのがとても残念でなりません。

若い頃からの喫煙が結果的に亡くなる原因になってしまったようですが、じゃあタバコ吸わなければよかったのかなんて討論するのは意味がないですよね。

歌丸師匠がどう生きて、どう生き切ったのか。

そこに達成感があるのならいいのかなと。

これだけの人に残せてるんですから。

合掌。

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